兵庫津 岡方倶楽部日記より

2020/03/13

3.13岡方倶楽部日記

新型コロナVの拡がりが続いています。
岡方倶楽部も感染防止のため閉館しています。

兵庫津の歴史を見ると、1300年の歴史の中で町は何回か壊滅状態になっています。
平安時代の終わりごろ、源平合戦が東は三ノ宮辺りから西は須磨浦公園にかけて戦場になりました。住民たちは町から逃げ出し、町全体が破壊されました。
源平合戦から150年ほど後には、湊川の戦いがありました。兵庫に陣を張る楠木正成に
足利尊氏が陸と海から攻め、全土が戦場になっています。その後は兵庫津として、日明貿易の勘合貿易港として栄えます。
さらに湊川の戦いから140年ほどのちには、京都で起こった応仁の乱の戦いが兵庫津争奪戦としてありました。町や港は壊滅状態となり、これから100年ほどは、日本史に兵庫津が出てこない時代になります。港の機能が復活できなかったのでしょう。
応仁の乱から110年ほどのちにあったのが、花隈合戦です。摂津の領主だった荒木村重の支城だった花隈城が織田信長の命令で攻略されました。この時の戦いは2年ほど続き、壊滅状態になったものの、即座に兵庫城が築かれ、札場の辻ができたように、街が急速に整備されました。この時にできた道路が現在の街路に重なっています。
町ができ始めた慶長元年7月には、マグニチュ―ド7.5の地震で伏見城の天守閣などが倒壊し、兵庫でも真光寺の五輪塔や清盛塚も倒壊した傷痕が残っています。また慶長9年12月にはマグニチュ―ド7.9の東南海地震が発生し、津波で大被害を受けています。
それから350年ほど経った時に、神戸大空襲があり、全域焼け野原になりました。
それからまた50年後には、阪神大震災があり、街は大被害を受けました。
それでも兵庫津は、大被害から立ち直ってきました。
岡方会館は、昭和の二度の壊滅を奇跡的にクリアーした奇跡の建物です。

新型コロナVの落ち着くのをみて、岡方倶楽部はまた開館する予定です。

岡方倶楽部歴史アドバイザー 高松良和・磯野和久

おかき・あられ販売のハブタ商店店長ブログ仕事

Twitterに投稿します!